無題

頑張っていこうな

アイドル

最近よく思うのは、「近年は確実に『アイドルにならなくても発信者になれるし、有名人にだってなれる』時代が来てる」ということ

 

誰でもTwitterYouTubeのアカウントが作れ、お金を払えば(たぶん)広告を打て、実力が認められたりなんか話題になればバズり、ファンが出来ればスパチャで収益を得たりpixivファンボックスで月額の支援を受けられるこの時代は、これらのサービスができる前よりも確実に発信したりそれによって有名になる難易度が下がってきてるなと思う。

 

 

じゃあその今の環境ができる前はどうだったの?というと、しらん。俺若いんで…17年しか生きてないの。ネット歴に関しては4歳。まだまだバブりたい年頃なんだよ。

予測すると、きっと今より『アイドル』が求められてたのではないかと思う。『アイドル』ってのは要はアイドル性?と言いますか。まーた辞書的意味1度も調べないで単語使ってる...

ここで言う『アイドル』及びアイドル性の定義は、偶像性、中でも聖像性とでもしとく。

 

具体的にいうと、

①人間の暗い部分、醜い部分をなるべく人に見せないようにすること

②人間の良い部分を多く発信すること

③キャラを固定し(ここ重要)、その人の性格などを明確にし、応援されやすくなること

のこと。当てはまる有名人います?YouTuberのヒカキンとか、僕はアイドル性あるとおもう。

 

アイドル性は完璧な外面とも言える。自分をコンテンツとして売り出すのに必要な、そしてコミュニケーションにも必要な人当たりの良さ。俗に言う「性格の良さ」。

 

昔の方がアイドル性が求められていたってのは今との相対的な話で、冒頭で話したような現在の環境に、価値観の多様化が進んだ今、『アイドル』になることは必ずしも発信者になる手段じゃないと、声を大にして言いたい。

 

というのも、そもそも『アイドル』というのが人間離れし過ぎなのだ。本来人間は理性と感情に挟まれて苦しんだり喜んだりするものであり、また常に記憶を更新するからキャラだって変わるものなのだ。俺のキャラ中一の頃と全然違うでしょ?高校入ってから付き合いのある方ならさらに分かると思うけど、中三のキャラと今のキャラも割と違うでしょ。違うよね?

 

しかしそういった人間臭さに嫌悪を抱く人間も多く居るのであり、そういうの無かったらいいのになーという願いの結晶、発生する需要がアイドルなのだ。

 

実際、アイドル性というのは恐ろしく魅力のあるもので、中毒性の高いものなのである。不快にならないものなのだ。人生はクソゲーだが、クソ要素一切取り払ったこの沼に一生浸かっていたい。

 

そういう『アイドル』だからこそ、人間臭さを見せてしまった時は大変なことになる。有名人の熱愛報道もその例だ。人間なら当然してもいいはずの恋愛が、できない。なぜなら彼らはアイドル化しているからだ。わいが1番ムカつくのはそれが「有名人の代償」とされている事だ。

 

正直に言うと俺もよくアイドル性に魅了される。ある発信者を好きになったとして、その人のスタンスが変わらないってとても安心するんですよ。かわってしまったら、好きでなくなってしまうかもしれない。

でも、すぐに相手は人間であること気づく。人間が一定であることは無い。ずっと好きでいられる可能性は100では無い。

最終的に行き着くのは、その人自身に関心を持つこと。好き嫌いにこだわらない。人間としての相手に関心を持つ。持てなければ持たない。でもそうやって関心のもてた相手ってのは、ずっと追っていける気がする。

 

俺がなかなかリアルのアイドルに手を出せないのは、おそらくアイドルのアイドル性が強すぎるからだと思う。人間なのに、アイドルをやっていて、そのアイドルを求める人々がいる。その関係が壊れるのが怖くてみてられない。それにガチガチにアイドルやられると、その人の人間部分が見えないから人間としての相手に関心を持てない。

 

繰り返しますよ。アイドルになる必要は無い。人間臭さを持ってもいいのだ。アイドル性がなくても発信者になれるし、弱音や醜さは共感だってされる。この風潮を止めてはもったいないと思う。

 

もちろん今まで通りアイドル性を持つやり方はあってもいいと思う。でも人間臭さがより受け入れられるようになれば、アイドルだって人間なんだから、と思える人が増えて、アイドル達にも優しいんじゃないだろうか。

 

 

P.S. 肩の力を抜いて書いてたら4時間かかったし、一人称が安定しない。